やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

ポーニョポーニョポニョ

晴れ。父と母は仕事へ。自分達は野良ヤギ親子と一緒に浅虫の海水浴場に行った。牛人間が上の二人を浮き輪で遊ばせ、自分と野良ヤギは波打ち際で0歳児達を遊ばせる。次女は機嫌良く水遊びをしていたが、砂を口に入れたり海藻を食ったりするので面倒を見るのは大変だった。
昼前には遊びを切り上げて、『ほたて広場』でご近所へのお土産を買ってほたてのソフトクリームを食べる。それからみんなで昼食にラーメンを食べて帰る予定だったのだが、自分達がゆっくりし過ぎたせいで姪が授乳の時間になってしまい、野良ヤギ親子は先に帰らなくてはいけなくなって申し訳ないことをした。
観光通りの『味千ラーメン』でパイクー麺を食べて帰り、それから自分は子供達を牛人間に預けて1人で『崖の上のポニョ』を観に行った。

最後に映画館で観た映画のタイトルが思い出せないくらい、映画館に来たのは久しぶりである。自分は神経質なのか、たくさんの知らない人と一緒に映画を観るというシチュエーションが苦手で、映画館があまり好きではなかった。上映中に誰かが会話していたり携帯電話をいじっていたりするのが気になってしまうのである。しかし、ここ何年かのうちに子供が生まれ、子供に妨害されながら資料を読んだりシナリオを書いたりという経験をしてきたおかげで、上映中にどこかの子供がポニョの歌を歌っていたりセリフを復唱したりしていても、あまり気にせず映画に集中出来た。でも後ろの席の子供がずっと椅子の背中を蹴っていたのはさすがに気になったので席を移った。
崖の上のポニョ』はとても面白かった。子供の頃から「こういう場面が見たい」と自分が思っていたものを、それを上回る勢いで見せて貰った感じである。洪水で町や道路や森が水に沈んでいる様子は、実際そんなことが起きたら本当に大変なのだが、何度も夢に見た光景だった。ここまで視覚で人を惹きつけて楽しませることが出来ていれば、物語として“ちゃんとお約束を守っている”ことは必要無いのだと思う。楽しめるかどうかは人によって違うから、そこが足りないと思えばストーリーに対しての不満も湧いてくるのかもしれない。
自分は物語を作る役目なので物語でお客を楽しませたいと思っているが、映画でも小説でも漫画でも、観る人、読む人の心を動かしているのは結局、物語そのもの以外の要素だ。物語は、映像や言葉や絵になって初めて人に伝わるものだから、その伝え方の部分に一番力を注がなくてはいけなかったのだと気付かされた。『崖の上のポニョ』は、そういう勉強にもなった。
映画のあと、家に電話したら次女は昼寝中だったので、その隙に買い物。ジーンズを1本買った。帰宅後は牛人間と一緒に餃子を包む。夕食にアブラメの煮付けと大量の餃子を食べ、風呂に入って子供寝せたあと、ネットして0時半就寝。