やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

7/9のこと

昨日図書館で、自分が今書いている小説と部分的に設定が似ている小説を見つけたので借りてきた。もしもその設定以外のネタまで被ったりしたらパクリだと思われかねないので、これ以上書き進める前に読んでおきたかったのだ。
自分が中学生の頃に好んで読んだベテラン作家さんの推理小説で、読んでみたら似ていると思った設定すら大分かけ離れていて、ネタも全く被ってなくて安心した。しかし驚いたのが、その小説のグダグダ加減である。
もう20年近くその人の作品を読んでいなかったのだが、賞を取ったこともある作家さんで、自分が過去に読んだ作品はプロットにきちんと驚きがあって、文章も読みやすく、それでいて表現が豊かだった。今日読んだのは数年前に発行された本で、シリーズ物の推理小説なのだが、驚く箇所が一つも無くて、主人公の超人性だけが際立っていて犯人を含む他の登場人物はみんな平坦で、長い文章を書くのに疲れるのか後半に行くに従って言葉選びがどんどん適当になっていくのである。最後の方などは作文のようになっていた。
そして更に脱力したのが、第二の殺人が起きたあたりで「ああ、これが伏線になるのね」と確信するほどあからさまに不自然な描写があり、「じゃあこいつが犯人だ」と思って読み進めて行ったら全然別の人間が犯人で、伏線と思われた描写は単なる書き間違いだったようなのだ。推理小説として、これは酷過ぎる。
自分は推理小説が大好きだが貧乏なので、「この人は間違いない」という信頼出来る作家さんの作品か、書評やネットのレビューなどで高い評価を得ている作品や、自分と同じような推理小説好きの人に勧められた作品以外を買うことが無かった。ハズレかもしれない作品に金を払う余裕は無かったのだ。そのおかげでこのような“酷い推理小説”(というジャンルが確立されてそうだ)を知らずにいたのだが、知らなかっただけで、こういう本はたくさん出版されているのだろうか。