やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

翌日のこと

5時半起床。晴れ。起きたら停電が直っていた。テレビを点け、尋常じゃない津波津波が引いたあとの変わり果てた街並みと瓦礫と大規模火災と水浸しの田んぼの映像を見て、やっとどんなことが起きたか理解する。そのあとパソコンを起動すると担当さんから先日送ったプロットについてのメールが来ていた。あの地震のあとも普通に働いていたのかと尊敬の念を抱きつつ返信する。
相変わらず家の電話は回線が混み合っていて使えなかったが、7時、父の携帯に電話したら通じたので詳しい被害の情報を聞く。青森の方はまだ停電中だが、石油ストーブがあったので昨夜はそれで凌いだとのこと。秋田の妹も停電が直らず車で暖を取っていたそうだ。そして身内の中で一番被害が大きかった仙台の加藤先生一家は、電気ガス水道全てが止まり住んでいる地域に避難勧告が出たため、昨晩仙台を発って車で青森の実家へ向かっているとのこと。生後間もない赤ちゃんを抱えた状態でこんなことになり、本当に大変だろうがとにかく怪我が無くて良かったと思う。
電話のあと、宮城に住む元同僚にメール。こちらも赤ちゃんがいるので心配だったのだが、幸い怪我は無かったとのこと。しかしやはり電気や水道が止まっており、しばらく山形の実家に避難した方が良いかも知れないと言っていた。
洗濯をして子供達に朝食与え、昨日入れなかったので風呂に入れる。それからクーラーボックスの生身を冷凍庫に移してゴミ捨てをして、自分はメンタルクリニックの予約日だったので病院に向かった。駅前の飲食店はマック以外ほとんど臨時休業していたが、パチンコ屋の開店には長い行列が出来ていた。電車は動き出していたが徐行運転をしているそうで、踏切が開かずの踏切になっていた。
幸いクリニックは地震に関係無くきちんと開いていた。受付を済ませてからマックで朝食。地震で材料が届いていないそうで、一部のメニューしか出せなくなっていた。マックグリドルのソーセージを食べてから診療時間になったので診察して貰う。先月から大分調子の悪い日が多かったのだが、同じ薬を使っているとそういう波はあるものなのだそうだ。焦って薬を変えたりせず、まずは今まで通りの薬で様子を見て、もし更に心配な症状が出たら、早めに受診するようにと言われた。
薬を貰って帰宅して、昼食に冷凍庫から出したせいで半解凍されたアジの開きを焼いて食べる。それと同じく半解凍されたほうれん草のおひたしと豚の角煮も。食後は月曜日が提出期限となっている担任の先生へのメッセージカードを作るため、スクラップブッキングの素材をダウンロードして切り抜く。その間に牛人間は下の子を連れて買い物に出掛け、上の子達はドラえもんのDVDを観ていた。
15時過ぎに加藤先生から電話。無事に今朝、青森の実家に着いたとのこと。地震の時の状況を聞いたが、揺れた瞬間に食器棚の引き出しが全部開き、冷蔵庫の扉も開いたそうだ。そんな状況で小さい子もいるのに誰も怪我が無かったのは本当に幸運だったと思う。そのあと聞いて驚いたのだが、加藤先生の旦那さんは発電所などの環境調査をする会社で働いており、何とあの女川原発の現場の受け持ちで、しょっちゅうあそこに行っていたのだそうだ。地震の日はたまたま現場に行かない日だったので助かったのだという。秋田に住む妹夫婦もつい先月異動が決まるまで宮城の登米で働いており、本当にみんな無事で良かったと改めてそれらの巡り合わせに感謝した。だがそうして“運良く”助かった人達とは逆に、“運悪く”死んでしまった人達がたくさん居るのだろうと考え、辛くなった。
牛人間は次女におもちゃ屋でボールを買ってやって帰って来た。自分は福島の原発が大変なことになっているというニュースを見て、テレビからしばらく目が離せなくなっていた。昨日も書いたが自分は以前福島のスーパーで働いていて、当時一緒に働いていた地元の人達はどうしているだろうと不安になる。その中にはいわき市が実家だという人もいた。
原発のことで頭が一杯になっている間に牛人間が夕食に鶏の唐揚げを揚げてくれた。食べ終わったあと、もうニュースを観るのが怖かったので録画の『探偵ナイトスクープ』を子供達と一緒に観る。子供を寝かしつけてからもニュースは観ずに、時々Twitterで流れて来る情報を確認しつつ『水曜どうでしょう』や『レベルE』などを観て、0時就寝。