やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

祖母が亡くなる

23日の朝、次女を幼稚園に送る支度をしていると青森の母から電話があり、父方の祖母が昨晩亡くなったと聞かされた。施設で寝たきりの状態が何年も続いていたが特に体に悪いところはなく、前回の帰省で顔を見に行った時も元気そうだったのだが、急に体調を崩して入院して、そのまま息を引き取ったとのことだった。肺炎だった。
24日に通夜、25日に火葬、葬儀と日程が決まった。夫には明日、午後半休を取ってもらえることになった。自分は25日に幼稚園のバザーの準備をお母さん達全員でやることになっていて、しかも今年は班のリーダーとして作業を仕切らなくてはいけない立場だったので、次女を送ったあと急いでサブリーダーの人に事情を話し、作業スケジュールの引き継ぎ内容を書類にまとめた。班員の人達にも事情をメールして、あとのことをお願いする。それから帰省の準備をして、翌日、次女の誕生会に新幹線のギリギリの時間まで出席したあと、次女だけ連れて青森へ向かう。上の二人も本当なら連れて行きたかったが、ちょうどこの日が楽しみにしていた遠足の日だったため、かなり悩んだが置いていくことに決めた。
通夜では11人の従兄弟達がそれぞれのひ孫総勢13名を連れて集まっていた。うちのように置いてきた子供も合わせると、祖母には17人のひ孫がいると数えてみて分かった。父からして5人兄弟だし、子だくさんな家系なのだろう。棺の中の祖母の顔を見たあと、久しぶりに会う従兄弟たちと祖母の話、正月や盆に祖母の家に集まって遊んだ時の話、お互いの子供の話などで盛り上がる。
通夜が終わって実家に帰ってから、父や母、妹達と祖母の話をした。子供の頃、祖母の家でみんなで回し読みした怖い漫画は、実はすべて祖母が買い集めたものだったらしい。祖母は色んな怖い話を知っていて、八甲田山の話や浅虫の話など、遊びに行くとよく聞かせてくれた。しかし父の話によれば祖母は酷く怖がりで、特に幽霊やおばけが苦手だったそうだ。自分の怖がりなのに怖いもの好きというおかしな性質は、祖母から受け継いだものだと思う。自分は声も顔も祖母によく似ていて、息子に名前をつける時も祖母の名の音だけを取っている。祖母からはたくさんのものをもらった。
翌日、雨の中、火葬と納骨を終えて、葬儀と会食のあと横浜に帰った。突然のことで、知らせを聞いた時には一度に色んな段取りを考えなければならずうろたえたが、バザーの同じ班のお母さん達と夫の協力のおかげで他の心配をせずにきちんと祖母にお別れして来れて良かった。