やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

11年前の今日のこと

5時20分起床。高2息子がテスト休みのため、高1長女、中2次女の分だけお弁当を詰める。

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それから子供達を起こしてランニングへ。2.6km走ってきてメルマガを書き、日記の最後に11年前の今日の日記を掲載して配信予約する。

洗濯と朝食のあとコーヒーを淹れて仕事。小説推理で連載中の『不知火判事の比類なき被告人質問』第四話の初校ゲラの赤入れをする。昨日の時点で全体の8割まで進めてあったので、時間をかけてじっくり直せた。終盤に少し大きめの加筆がありつつも、先に方向は決めてあったので苦労なく仕上げる。

12時過ぎに赤入れを終え、見直してスキャンして担当さんに送る。それから昼食を済ませて買い物へ。スーパーとホームセンターを回って帰宅し、確認が必要なメールの返信をする。

その後は11年前の3月のブログを読み返して当時のことを思い出しつつ東日本大震災の追悼式を見て、夕方まで資料読みとアイデア出しをする。台所のシンクの掃除をしたあと夕飯の支度。今日はサーモンアボカド丼にした。

夜はワインを飲みながら漫画『概念ドロボウ』1巻とミステリー漫画、資料本を読み23時就寝。

※メルマガに掲載した11年前の今日の日記を以下に転載します。

◆3/11(金)◆

6時20分起床。晴れ。朝食はハムチーズトースト、バナナ、マロンデニッシュとコーヒー。上の子達を幼稚園に送ったあと、まだ出しっ放しだった雛人形をやっと箱に仕舞う。あとで起きたことを考えると、午前中に仕舞っておいて本当に良かった。

古紙回収の日なので古雑誌やダンボールを回収場所に運んでから、次女を連れて車でショッピングモールへ。ホワイトデーのお返しのお菓子と食料品を買って、レストランでホタテのクリームスパゲティ(次女はセットのピザ)を食べて帰って来る。

上の子達を迎えに行っておやつを食べさせながらコンペに出すためのプロットをやっていると、15時前くらいにカタカタと小さく家が揺れ始めた。随分長い揺れだなと思っていたら急にガタガタという強い揺れに変わったので、子供達にこたつの中に隠れるように言い、食器棚の引き戸が開けっぱなしだったのを閉める。そのあとは机の上の書類が落ちてきそうだったのでそれを手で押さえていた。

揺れはかなり強く、長く続いたが、震度4(とあとで知った)程度だったのでそれほど怖いとは思わなかった。しかし突然テレビが消え、停電したことが分かって初めて「これは大変なことになった」と思った。

揺れが治まった頃、仙台に済む妹の加藤山羊から「無事です。そっちは無事?」というメールが来て、テレビが点かないのでTwitterで確認したところ、宮城県震度7というツイートを見て愕然とする。「停電したけど人と物は無事です」と短い返信をしたあと、子供達にはまだこたつの中にいるように言いつけて外に出た。

お隣は赤ちゃんがいる家で、インターホンが停電で鳴らないのでドアを叩いて声を掛けた。特に怪我などは無いとのこと。斜め向かいのお宅は怪我は無いが水槽が落ちたそうで相当悲惨な状況になったらしい。とりあえず「何かあったら声を掛けてください」と言って家に戻る。それから停電で冷凍庫の食材が溶けないようにと、中身をクーラーボックスに移し替えた(実は一晩くらい放っておいても大丈夫だったらしい。むしろ扉を開けることで冷気が逃げて溶けやすくなるんだそうだ)。

他の部屋を見て回ったが落ちたり壊れたりした物は無かった。夫に「停電してるけど無事です。そっちは大丈夫?」とメールして、それからTwitter地震の情報を読む。スマホでニュースの動画を見ることも出来たのだが、いつまで停電が続くか分からないのでバッテリーの消費のことを考えて文字だけを読んでいた。停電していない地域の人達の「NHK見てる。うわあ、津波が……!」とか「酷い。これ日本なの?」というツイートで、津波が来て、テレビでとんでもない映像が流れているらしいことだけが分かった。

夫からはしばらく返信が無く、今日は千葉の方に行くかもしれないと聞いていたので不安だった。青森の実家と秋田の妹からは「こちらも停電したけど無事」とメールが来た。電話が通じないので夫の実家への連絡手段が無く、パソコンのメールアドレスは知っていたのでそちらにメールする。それからブログの方も「無事です」とスマホから更新しておいた。

子供達はテレビが見れないので薄暗い部屋で呑気にUNOで遊び始め、自分は落ち着かないので外に出て近所の奥さん達と「停電いつ直るんだろうね」とか「東北の親戚大丈夫かな」と話していた。ちょうど地震の時に車で買い物に出ていたお向かいさんが帰って来て、「信号も全部消えてる。スーパーもレジが停電して動かないから買い物出来なくなってるよ」と教えてくれた。

17時、夫から「今から帰る」という連絡が来て、間もなくバイクで無事に帰って来た。千葉へは行ってなかったらしい。停電している地域としていない地域があり、途中までは信号が点いていたとのこと。しかし電車は全て止まっているそうで、電車通勤の人達は途方に暮れてタクシーの列に並んだり、歩いて自宅を目指したりしていたという。それと岡山の実家には無事だと電話出来たそうだ。

夫が「暗くなる前に夕食を済ませよう」と言い、カセットコンロ(うちはオール電化なので停電するとこれでしか料理が出来ない。エコキュートなのでお湯も使えない)で昨日のスパゲティの残りを温め始めた。その間に自分は夫の言いつけでラジオや懐中電灯などを出して来る。子供にスパゲティを食べさせて、大人はカップの焼きそばを食べた。

食べ終わる頃には真っ暗になってしまったので、懐中電灯で照らしながら子供達をパジャマに着替えさせて歯を磨き、「今日はもう寒いしやることないから寝なさい」と19時に寝かしつける。子供達はしばらく寝室で騒いでいたが20分程で大人しくなり、あとで覗きに行ったらきちんと寝ていた。

子供が寝たあと、夫と二人で全く温かくないこたつに入り、冷蔵庫に残っていた焼き鳥をカセットコンロで温めて食べながら、まだ冷たいうちにと冷蔵庫に残っていたビールを飲む。ラジオでニュースを聞いて、宮城だけでなく岩手や福島も津波で被害を受けたことを知った。自分は大学卒業後に総合スーパーに就職したのだが、最初の配属先が福島で、当時の同僚や上司がまだ宮城や岩手や福島で働いているはずだった。退職して何年も経つので連絡を取り合っている人はもう数人だが、とにかく無事でいて欲しいと思った。

しばらくそうしてニュースを聞いていたが、聞いていても何も出来ないし、どんどん部屋が寒くなってきたので21時頃布団に入った。明日の友達のTさんとの約束はこういう状況なので残念だが中止になった。布団に入ってからは21時半には寝てしまっていたと思う。

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