やぎのくらし

小説家で漫画原作者の矢樹純のブログ

地獄へ転がっていくようです

その一瞬の不安がストレスになったのだろうか。夜中の12時、あれほど規則的に来ていた陣痛がパッタリと止んだ。
「明日までに生まれなかったら薬は使わず退院」というのが現実になるかもしれない。夫の両親はどう思うだろう。何であの時、看護師は入院した方がいいなんて言ったのか。あんなに歩き回ったのに、どうしてここに来て陣痛が止んでしまったのか。
自分に原因があるのなら後悔も出来るが、多分この不幸は私のせいで起きたのではない。私は空しくなり、これ以上考えていると何か極端な行動に出てしまいそうな気がしたので、眠ることにした。

深夜1時、これまで来ていた陣痛の3倍くらいの痛みで目を覚ます。“本格派”という感じの陣痛である。看護師に陣痛が始まったようだと言うと、「じゃあ水風船が外れたら教えて下さい」と言われた。子宮の入り口の水風船は、入れたあと、直径が3cmになるように膨らませてある。それが自然に外れて出てくれば子宮口が4cm開いていることになり、つまりお産が進行している目安になるわけだ。
陣痛は5分おきで、かなり痛みが強かった。1時間半ほど我慢したが、風船が出てくる気配は無い。この陣痛によって子宮口が開くメカニズム(と母親学級で習った)なのだから、これだけ我慢して風船が出て来ないのはおかしいんじゃないだろうか。看護師に「何か引っ掛かって出て来ないとか、そういうことはないんですか?」と聞いてみるが、「ないと思うけどねー」と言われただけだった。そのうち痛みはどんどん強くなり、陣痛の感覚も3〜4分おきになってくる。

3時、風船は外れていないが、看護師が「じゃあとりあえず分娩室に移動しときましょうか」と言うので陣痛の度に立ち止まって休みながら分娩室まで歩く。分娩台に寝て、ここで初めて内診(子宮口がどれくらい開いたか診る)をしてもらったところ、看護師が「あれ?」というような表情になり、「ちょっと風船出しますね」と言って風船をあっさりと引っ張り出してしまった。そして看護師は「赤ちゃんの頭で風船が押さえられて出て来なかったみたい。子宮口、もう6cmになってるわ」と言い、助産師と医師に慌てて連絡をし始めた。看護師にはお産の時の処置をする資格が無いので、助産師と医師がこの場にいなければ私は子供が産めないのである。

ここでちょっとお産の流れを説明しておくが、陣痛というのはとても痛いので黙っていると力が入ってしまう。しかし子宮口がちゃんと開いてないうちに力を入れると、赤ちゃんは出口も無いのに押し出される形になってしまうので、呼吸法などでいきむのを我慢しながら陣痛に耐えるわけだ。子宮口が全開大となるのが10cmで、その状態でやっといきむことが許されるのだが、そこに行き着くまで力を入れないように我慢するのがとても辛いのである。
ちなみに私は一人目を産んだ時、早朝だったために医者が来るのが遅れ、子宮口が全開になっているのに「先生が来るまでいきんじゃダメ」と理不尽な我慢をさせられた。それは物凄く辛かったのだが、今回も早朝のお産で、そして看護師は慌てて医者と助産師に電話をかけている。私はこの時点で、とても嫌な予感がしていた。

看護師が電話をしている間に私も夫に電話をした。夫は10分後くらいに、医者よりも助産師よりも早く病院に到着した。夫は到着するなり私に「で、もうかなり盛り上がってるの?」とくだらない質問をしたが、その時ちょうど陣痛の波が来ていたので質問に答えなくて済んだ。この頃になると陣痛が来ている間はいきみを我慢するのに精一杯で、会話をする余裕は無い。

母親学級で貰ったテキストに、「いきみを逃すためには、呼吸法を行いながらリラックス出来る風景などを思い浮かべると良い」とあったので、私はその時、すでに1分おきくらいになった陣痛の間、変な呼吸をしながら息子の寝顔と笑顔を交互に思い浮かべていた。
しかし何度も陣痛の波が来るうちに徐々に頭の中が白くなり、「痛い」ということ以外考えられなくなっていく。それでも看護師は「力を入れないで!我慢して!」と私に厳しく言い、そして入り口の方を振り返りながら「先生早く来て・・・」と弱々しく呟いた。
夫もこの状況がヤバイということが分かったのだろう。「先生はどこにいるんですか!?行って呼んで来ますから!!」と、まるで芝居のセリフみたいなことを言って、分娩室から駆け出して行こうとした。そこへやっと医者が走り込んで来たのだが、その時私の子宮口が全開大になっていたことは間違いない。なぜなら、赤ちゃんの頭がもう、外に出てしまっていたからである。

結局、医者が手袋をしている間に赤ちゃんの首から下が出てしまい、元気な泣き声が聞こえてきた。私は最後まで誰にも「いきんでいいよ」と言われることなく、勝手に赤ちゃんが出てきた、という感じで出産した。
遅れて来た医者がした仕事と言えば、へその緒を切って胎盤を出し、裂けた会陰を縫ったことくらいである。麻酔があまり効いていない状態で縫ったのでとても痛かったが、赤ちゃんが勝手に出てきた時の苦痛に比べたら全然マシだった。縫われている間に、助産師が平謝りしながら分娩室に入って来た。これで出産費用を普通に取るのだから、病院というのは本当に厚かましい。

産まれた時間は午前4時42分、赤ちゃんは2950gの女の子で、根性の据わった顔をしていた。凄い顔だなあと思って見ていたが、夫は一目見て「君にそっくりだね」と言った。
分娩室からお互いの両親に、無事に産まれたと電話をする。分娩台の上でしばらく休んだあと、動いても良いと許可が出たので夫と病室に戻って寝た。8時に朝食が来たので食べ、また寝た。10時半に私の両親と夫の両親が来て、さっき産まれたばかりの娘を交替で抱き、喜んでいた。

娘が生まれた日の朝は、とても綺麗な雪が降った。
娘が大きくなったら、そのことだけを教えてあげたいと思う。
私も、それ以外のことは忘れてしまいたい。